三瀬孟宗(さんぜもうそう)とは?

 東北地方・山形県鶴岡市の海沿いにある三瀬(さんぜ)地域で採れる筍(たけのこ)です。三瀬は、西側を日本海に、他の三方を山に囲まれた地域で、恵まれた森林資源があり、かつては林業の町としても栄えていました。山々には広大な竹林も広がり、その竹林から採れる筍は、「三瀬孟宗」と呼ばれています。鶴岡市内には「湯田川」「谷定」「高坂」「青龍寺」「滝沢」「金谷」「上山谷」「谷定」「早田」といった孟宗の名産地がいくつもあります。

生産者

 約20人の方々が、三瀬地域で竹林を守りながら孟宗を生産しています。

 同じ三瀬地域の中でも、生産者によって味に微妙な違いが出るそうです。竹林の場所による日照の違い、間伐方法、手入れの方法、肥料など、工夫もあります。

三瀬孟宗の歴史性

(鶴岡市内で)孟宗が量産されるようになったのは、昭和(1926~)時代に入ってからである。
日本国に孟宗が始めて移入されたのは元文元年(1736)に薩摩藩主島津公によって中国からの2株であった。その後、江戸の薩摩屋敷に株分けされて薩摩と江戸の2箇所から広まったとされている。
 天明年間(1780~)杉山廉(鶴岡の著名な歌人)の「おそさくらの記」の中に、氣比権現にお参りに行き、氣比台の池(御池様)を見に行き、その道の途中に虎でも伏すような竹林があり珍しく見たとある。更に、周りが一尺(30cm)もあり、その竹に名前を彫りつけているものもいたとある。周囲30cmの竹となると孟宗竹以外は考えられないし、杉山廉なる人物が珍しく見たというならば、他のカラダケ類ではなく正しく孟宗竹と考えられ、間違いなく見たはずである。
 庄内での孟宗の文献は「おそさくらの記」が一番古く、孟宗竹の原点の一つが氣比権現(現氣比神社)であったことになる。海岸地区は強風で孟宗竹は極めて少ない、ところが三瀬地区にはいたるところに孟宗林があるということは、上記に述べた歴史性を秘めているに違いないと信じて疑わないのである。

琴平荘 中華そば処 掛神 淳(鶴岡市三瀬)

「孟宗」の由来と三国志

孟 宗(もう そう、? - 271年)は、中国三国時代の政治家。恭武荊州江夏郡の出身。二十四孝の一人として数えられると共に、モウソウチク孟宗竹)の名前の由来となっている。 - 母がを好んだため、冬に孟宗が竹林に入って哀嘆したところ、筍が生えてきたため母に食べさせることができたという。これがモウソウチク(孟宗竹)の名前の由来とされる。 - 孟宗は呉県県令に昇進した。その頃呉の法律では、親が死んだ場合でも長官は後任が来るまで喪に服してはならないとされており、違反すれば死罪と定められていた。しかし、孟宗は母の死に際してその禁を犯し、県令の職務を放棄して喪に服したため、拘禁され処刑されそうになった。陸遜は彼の助命を願い出たため、孫権は孟宗の罪一等を減じたという。(出典・ウィキペディア)